紫陽花

昨日の須賀川ヨーガサークルMOONの帰り道

闇夜に明るく照らされる素敵な場所を見つけました。

導かれるように行くと、

そこには色鮮やかな満開の紫陽花の花が、

まるであんこをたっぷりくっつけたぼたもちのように

咲き誇っていたんですキラキラ

ライトアップされた紫陽花たちは、

神々しく、神秘的に見えました

    

須賀川橋 釈迦堂川 須賀川の夜景

kazu  


スートラ勉強会

おととい火曜日のヨーガ・スートラ勉強会にご参加いただいた皆さん、大変お疲れさまでした。
ヨーガ・スートラは1600年も前にパタンジャリ大師というヨーガ行者によって編纂されたヨーガの格言集です。ヨーガの智慧ははるか昔、5千年も前から口伝えで伝わってきており、文字としてのこっている文献も2千年も前からのものだそうです。キリストやブッタが生まれるもっとずっと前の話。ブッタは菩提樹の下でヨーガを行じて悟りをひらいたと言われるくらい。

『ヨーガとは心素の働きを死滅させることである』~スートラ第一章第二節~
体操ではなく、呼吸法ではなく、心素(記憶袋)の働きを静めるのがヨーガというわけです。今回は38節の学習。常にどんな状況であっても、客観的に自分を観ること(第四の意識)が心素の働きを静める方法と学びました。
皆さんは普段の生活の中でそれがどれほどできていますか。
「旦那がむかつく~(`ヘ´)」ではなく
「今、夫に対して腹をたてている私の心があります~」

「これからの自分が不安で仕方ないよ~」ではなく
「自分の未来を不安に思う自分がいます~」

「仕事したくない~」ではなく
「仕事を拒否する自分の心があります~」
です

私たちは自分の感情にいちいち飲み込まれてはなりません。常に客観的に観れる(第四の意識)冷静さを身につけること。そして、自分の感情を善悪の判断をせずに、ただ受けとめることです。

今回も瞑想の時間を15分与えられ、ヨーガの智慧に照らし合わせて、今までの自分の生き方を見つめ直しました。初参加の方は「長かったぁ」と感じたかもしれませんね。
木村先生の集中行では一時間の瞑想は当たり前ですから、15分はだいぶ短い方自分の一生分を見つめ直すわけですから、短すぎますよね
内観療法なんて、1日8時間を一週間だったはず一度は体験してみたいです
今回の学びがまた新たな気づきをもたらし、それぞれの実りとなりますように

次回のスートラ勉強会は9/19(土)です。自分を掘り下げて、真我に近づきたい方は是非ご参加ください

kazu
  


sendai

今日は月に一度のヨーガ療法士養成講座の日で、今バスに揺られいざ仙台へ
毎回過酷な宿題を課せられ、やはり今回も前夜(朝方2時まで)まで課題が終わらず…
やっと準備が完了し寝たのは2時半
でも数時間寝たらすっきりです
朝がめっきり弱いわたしでも楽しみな日はシャキーンと起きれます
3年間一緒に過酷なカリキュラムを学び続けてきた仲間に、今日は会える日みんな主婦しながら、働きながら、病気と闘いながらヨーガを学び、自らを高めていく力強い仲間です。「ヨーガをやってる人はやっぱりいい」って、そう思わせてくれる。
みんな今日はどんな症例をプレゼンしてくれるか、
自分のことも含め、ヨーガ療法がいかに人を向上させることができるか、変えることができるか、病から救うことができるか、その報告会があります。
今回私の報告は、たった一年間のヨーガ実習で自らの本当の感情に気付き、劇的な変化をしたMさん。さまざまな心の葛藤を一つ一つ受けとめられるようになっている力強い言葉に、私自身とても勇気をいただきました。症例報告にご協力いただいたこと、心から感謝いたします。
きっと、全国で同じように苦しんでいる人たちの力になるはずです

kazu  


恵みの雨


梅雨時らしくないお天気ですねぇ。
農家の皆さんはちょっと心配そう。
昨日の雨は見事に恵みの雨でしたね。

昔は大嫌いだった雨の日も、いつの間にか好きになってきて、今では大好きに☆不思議なものですね。
雨の日のしっとりした静けさがすごく好きです。
昨日は実家に帰ってましたから、町の緑豊かな温泉へ
雨の日の露天風呂は格別です☆
農家のおばあちゃんたちがたっくさん集まっていて、トマトやきゅうり、ジャガイモやカボチャの育て方について、情報交換を盛んに交わしてました。
いいなぁ~、ああいう会話。ものすごく混ざりたかった
雨の日は農家の最大の休日です。
田舎では自然時間が自然に流れてる~
その話し声を聞きながら、昨日は湯冷まし場のベンチにてそとヨガ



kazu  


ヨーガの入り口②

今日は、ヨーガ修行の第2段階、勧戒(ニヤマ)についてのお話です。
前回の禁戒のお話では、してはいけないこと、慎むべきことについてでした。
勧戒は、見ての通りすべきこと、守るべきこと、あるべき姿についての教えです。

サウチャ(清浄)・・・心の清浄、言葉の清浄、肉体の清浄
罪深い欲望、怒り、情欲、執着心、過った想像力、嫉妬心、嫌悪感、自慢、邪悪な考えなどを持たず慈悲心を養い、率直でつつましやかな態度をとり、心を清めておくこと。また、粗野な話し方をやめ、嘘をついたり、人の悪口を言ったり、偽善的なことをくちにしたりしない。肉体は、石鹸でよく洗い清めておく。
※なんとなくイメージとして、ヨーガ行者と言われる人々は、ながーいひげを生やし、布を一枚体に巻いて・・・みたいな姿を思い浮かべませんか?慧心先生は言います。それはニセ行者だと。サウチャの教えを実践していれば、そんな姿にはならないはずだと。慧心先生ももちろん、いつもさっぱりとしたいでたちで、しっかりとアイロンがかかった真っ白なシャツに、しっかり仕立てられたスリーピースを着て、講義されますし、実技指導の時も真っ白な運動着?でいらっしゃいます。その御匠さん(スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ大師)のお写真も、ひげをそりさっぱりとしたお姿でとても清潔な印象でした。慧心先生も、師はいつも本当に清潔で石鹸の香りがするくらいだったと、いつか話してらっしゃいました。

サントシャ(満足)・・・心の満足、言葉の満足、肉体の満足
自分自身がまじめに働いて得たもの以上のものを決して欲しがらないということ。つまり「足るを知る」の教えです。これは逆に言えば、たとえ期待したものよりも少ないものしか手に入らなかったとしても、決して失望してはならないということであり、また期待した以上のものが手に入ったからといって、決して有頂天になってはならないということです。

タパス(苦行)・・・心の苦行、言葉の苦行、肉体の苦行
ヨーガ・スートラには「苦行とは、対立するものに耐えることである。」と記されています。私たちの心の中には、善と悪、成功と不成功、好きと嫌いなど様々な対立が、言葉においては、言いたいと言いたくない、言うべきと言うべきでないの対立、肉体には寒さと暑さ、立つと座る、動くと休むなどの対立が起こります。それらを克服し、いつも平安でいることを心がけなければなりません。
※「もしも、自分を非難する者を歓迎するならば、自分自身は恵みの光を得るが、その者は光を失う」
 「侮辱に耐えることは、苦行の成果を増し、逆に名誉を求めることは、苦行の成果を減ずることとなる」

スワディヤーヤ(読誦)・・・心の読誦、言葉の読誦、肉体の読誦
「読誦とは、聖音オームなどの浄化作用のある真言を読誦すること、或いは解脱を説く聖典を学習することである。」
(ヨーガ・スートラ二-1ヴィヤーサ注釈)
ここで言う聖典の学習とは、毎日規則正しく聖典を読み、またそれを教え続けることを言うそうです。

イシュワラプラニダーナ(最高神への信仰)・・・心による最高神への信仰、言葉による最高神への信仰、肉体による最高神への信仰
「最高神への信仰とは、すべての行為を、最高の導師としての最高神に捧げること、或いは行為の結果に執着しないことを言う」(ヨーガ・スートラ二-1ヴィヤーサ注釈)
※私たちも、ヨーガ療法士になるために様々なことごとを学んでいきますが、もしも自分がいい思いをしたとしても、それは自分の手柄ではなく、すべては導師のお手柄、おかげだと、すべてを導師に捧げます。私にとっての導師とは木村先生であり、近藤先生です。


どうでしたか?
ニヤマの教え。
当たり前のことのようだけれど、改めてこうして学習すると、
なんとも“ハッ”とさせられませんか?

こうやって私たちは段階を経て、ヨーガを学び、「歓喜、幸福」への道を歩み進めていくんです。
何度も言いますが、ヨーガはエクササイズでも体操でもないし、呼吸法でもないし、瞑想法でもない。
あくまで、アーサナ(ポーズ、座位)、呼吸法、瞑想法は手段であり、道具に過ぎないんです。

生きるための大いなる智慧
私はそう思っています。

来週、23日(火)19:00~田村町二瀬公民館に木村慧心先生がおいでになります。
今回はヨーガ・スートラの勉強会です。(会費2000円)
今日のニヤマの学習の中にも何度か出てきた「ヨーガ・スートラ」
いかに日常でそれを実践するか、慧心先生がとってもわかりやすく教えてくださいます。
是非、ご参加ください。
参加希望者は、メールを
wayoga_smile@yahoo.co.jp

 

kazu  


そとヨガ



最近、そとヨガにはまっています。
新緑の季節、風が気持ちよっくって、
うちの中ではちょっともったいない、物足りない。

で、ちょっとお外に出て、静かな場所を見つけて
マットを敷けば、そこは私だけの行場にキラキラ

昨日は、offで、いわきまで海を見にぶらぁ~っと
う~、できることなら海の近くで暮らしたい・・・
やっぱり海はさいこーです。
私、きーっと前世は魚かなんか、海の生き物だったはず
とにかく、水が好き、とりわけ海が好き

ずーっと水の中に入っていたい
普段じゃぁせいぜい、温泉で満足するしかないもんなぁ~
ほんとは、毎日広ーい海の中を泳いでいたいって思っちゃいます

もし生まれ変わるなら、
もう一度今の自分になりたいけど、
南の島で暮らしてたいなぁ~

話はそれましたが、そんなわけで、
まだ海には入れないから、昨日は海辺でヨーガです☆

潮の香りも、潮風も、波の音も、
すべてが解放を感じさせてくれました
永遠を感じさせてくれました

ヨーガ、とくにこの伝統的なヨーガ哲学を理解するには
感受性の豊かさがものを言います

感受性豊かな人間でありたい
たまにはこうして、磨いていかなくっちゃ

“ただ在る”ことを、この上ない幸福と感じ続けられるように・・・

kazu  


ヒツジライオンのお話解説

 
思い込みの自分と本当の自分

思い込みの自分=ヒツジ
本当の自分=ライオン

私たちは、思い込みによって自分を小さくしてはいけないのです
「どうせ私なんて・・・」
「私は~だから・・・」
それはまさに智慧のない人が口にする言葉
怠惰さが口から出させる言葉
智慧のなさと怠惰さはヨーガでは病気と定義します

私たちは真のライオン性を自分の内に見つけ出さなくてはならないのです



皆さんはどうですか?
哀れなヒツジさんですか?
それとも勇敢で堂々としたライオンさんですか?

kazu
   


ありふれた日常

6月の夕暮れ
なんて日がのびたことでしょう
18:30あおむし
ようやく今日の太陽が、沈もうとしていました。
19:00を過ぎても、まだまだ外は明るくて・・・
なんだか得をした気分きらきらピンク


最近slow down計画を実行しているわたし、
ゆっくりと流れる時間の中で
ありふれた日常の輝かしさに
思わず目を細めてしまう

食器を洗っていて・・・
洗濯物を干していて・・・
自転車をこいでいて・・・
近所の人と朝の挨拶をかわして・・・
空を見上げて・・・
花を愛でて・・・

それは本当にありふれた日常なのだけれど・・・

そのありふれたことごと
一つ一つがすべて
辛く、悲しく、無意味で、すべてがグレーで曇っていた時期があった
抜けられない暗いトンネルの中で
すべての行為を無意味に行っているように
そこには何の感情もなく
ただ不安と悲しみと虚しさがあった
当たり前のことが当たり前にできない自分がそこにはいた

「なぜ、食器を洗わなければならないの?」
「なぜ、洗濯物を干さなきゃならないの?」
「なぜ、世の中の人はそんなのんきに笑っているの?」
「なぜ、なぜ、なぜ・・・」

何をやってもイキイキとしない
何もかもがやたら時間がかかって
何もかもがうまくいかなかった
(そう、米の研ぎ方がわからなくなった時もあったなぁ)

明るさ、元気の象徴である太陽が憎らしくさえ感じた時があった
雄大な空がうっとおしくさえ感じた時があった
大好きなガーベラの花を見ても、心が躍らなかった

そんな自分の全てが、おそろしく悲しかった

ときにふっと
そんなことを思い出す

かつての私は、幸福はどこか遠くにあるものだと思っていた
大きな夢の、その彼方にあるものだって思っていた
名誉や地位のその先にあるものだって思っていた
だから、人より上に行きたかったし、人と違うことがしたかった
人ができないようなことまで何でもしてやろうって思っていた
たくさんたくさん勉強したり(その割に結果は伴っていないが・・・)
いろーんなバイトをしてみたり
地球を一周してみたり
いつか海外で働くことを夢見たりしていた
誰にも負けたくなかった
とにかく“フツウ”が嫌だった

今は思う
“フツウ”こそ最大の喜びだって

テンポよく、上手に食器を洗えること
太陽を愛しく感じ、すがすがしい気持ちで洗濯物が干せること
お米を数分でてきぱきと研いで炊飯器にセットできること
ガーベラを見て「きれいだなぁ、かわいいなぁ」って思えること
ひろーい空が「ほっんとうにきれいだぁ~」って思えること

そんなありふれた日常が、どれほど貴重であるか
今ならそれがわかる

人の上に立つことが幸福か?
人に勝つことが幸福か?
成功することが幸福か?
人に評価されることが幸福か?

私は確実に間違っていた
そんなことになんの意味があるのかなって、今は思う

ありふれた日常が、ただ淡々と過ぎていけばいい
朝起きて、日が昇り、一日を働いて過ごし、日が沈んで夜が更けていく
また夜明けが来て、またありふれた日常が過ぎていく
そんなことをくり返しくり返し、そしていつか命が尽きる時が来る
それでいい
それだけでいい

それがなんて幸せなことであるか
今、私はそう思う

ありふれた日常がキラキラと輝き出しますように

kazu  


ヨーガの入り口

私たちは、ヨーガを行じるにあたって、
最後に三昧(サマーディ)というこの上ない幸福感、歓喜を手に入れるために
そこには段階があることを以前も書かせていただいたと思いますが・・・

今日は、その八つの段階、八支則について
その一番最初の段階である禁戒(ヤマ)についてお話したいと思います。

ヤマとは五つの断つべき戒め
①非暴力の教え(アヒンサ)
 あらゆる生物に対し、例えば心や言葉、行為など、それが如何なる仕方にせよ、傷を負わせないこと。
 ※ヨーガ・スートラにはこんな記述が
 「非暴力の戒律が成立すれば、ヨーガ行者の面前では、すべての生き物は、その敵意を捨てる」
②正直の教え(サティア)
 間違いを語らず、行わない。自分が言う一言一言に間違いが起きないよう、注意深く生きること。
③不盗の教え(アスティア)
 ものを盗まず、他人の意見や思想もわがものにしない。
 本当に自分で気づきわかったことを大事にする。
④禁欲の教え(ブラフマチャリア)
 ただ単に生殖器官の働きを制御するだけでなく、
 すべての感覚器官の働きを自己の管理下におくようにすること
⑤不貪の教え(アパリグラハ)
 貪欲さや執着心に動かされて、いろいろな財物を蓄えるようなことはしないこと

木村先生の御匠さま、スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ大師は
『実践 ヨーガ大全』の中で八支則についてこのように語っています。
「ヨーガ修行者の場合、これらの修行法を段階を追って行じてゆかなければ、
その修行を完成させることはできない」と・・・



禁戒=ヤマの後には
勧戒=ニヤマ、
座法(体操)=アーサナ、
調気法(呼吸法)=プラーナーヤーマ、
制感=プラティヤハーラ
凝念=ダーラナ
静慮=ディヤーナ
三昧=サマーディ
と続きます。

ヨーガというと、三番目以降の体操や呼吸法や瞑想法の部分ばかり取り上げられてしまいがちですが、
そんなことをする前に
学ばなければならないこと
身につけなくてはならない人間性がある

それを学ばずして
どうしてヨーガによって真の幸福を得ることができましょう

禁じられている戒律
皆さんはどれだけ実践できていますか?

私もいつも戒律を胸に・・・

次回は、勧戒について

kazu  


昨日の続き


本当に“させて”いただくことって、この上ない喜びハートきらきら

今日も、SHANTYの皆さんと
「人生は 奪うに益なく 譲るに益あり」
についての瞑想をさせていただきました。

誰かに対して何かをしてあげられた時、
一番得しているのは、その人、本人。

今日も、みんさんとヨーガを学ぶことができたこと
みんなのいきいきとした熱心なその顔をたくさん見れた私は
やっぱり
誰よりもいっちばん得をしていて
誰よりもいっちばん幸せだって
思いました。

指導者になって初めてわかった。
一番幸せなのは、教えられる方じゃなくって
教える方なのかもしれないって

人一倍の努力も
勉強も
苦労も
確かに必要だけど・・・

でも・・・
その恩恵ははかりしれなくって
本当にたくさんのものを
私の方がずーっとたくさん方たちにいただいている

こうしてまさか私に指導者という機会を与えてくださった
近藤先生に、心から感謝しています

私が生きることをあきらめなかったことの最大のご褒美は
この喜びを味わうことができたことだと
そんなことをいつも思いながら・・・

なんでも自分のためにやらせていただく
それがきっと誰かのためになることを信じて

今日の良き日に心からの感謝を

kazu  


譲るに益あり

私たちは日頃、
他人から奪う心と、他人に与えて譲る心と
どちらを多く持っているだろうか

人が喜ぶこと
人の望むことをどれだけできているだろうか

そして、その行為を
自分を勘定、計算に入れずに、
どれだけできているだろうか

私は以前、
人のためになりたい
人が喜ぶ顔が見たい
いつもそう思っていました

でも今とは大分違う思いをベースとして・・・

私は、人のために・・・
と言いながら、思いながら
本当は
そんな自分を見てほしかった
そんな自分を認めてほしかった
そんな自分を評価してほしかった

そうやって自分を表現しようとしていた気がします
きっと私は
人が喜ぶこと、望むことを
“やってあげていた”んだとおもいます。
それはまさに
“偽善者”だった。

人が喜ぶこと、望むことを
“させて”もらっていますか?

心から自分を計算に入れずに
人が喜ぶことをしたとき
一番うれしいのはしてもらったほうではなくて
させてもらった方なんです

私の大好きな曲の1つを紹介します。

“僕が一番ほしかったもの”~槇原敬之~

さっきとても素敵なものを
拾って僕は喜んでいた
ふと気がついて横に目をやると
誰かがいるのに気づいた
その人はさっき僕が拾った
素敵なものを今の僕以上に
必要としている人だと
いうことがわかった

惜しいような気もしたけど
僕はそれをあげることにした

きっとこの先探していれば
もっと素敵なものが見つかるはず
その人は何度もありがとうと
嬉しそうに僕に笑ってくれた

その後にもまた
僕はとても素敵なものを拾った
ふと気がついて横に目をやると
また誰かがいるのに気づいた
その人もさっき僕が拾った
素敵なものを今の僕以上に
必要としている人だと
いうことがわかった

惜しいような気もしたけど
またそれをあげることにした

きっとまたこの先探していれば
もっと素敵なものが見つかるだろう
何よりも僕を見て
嬉しそうに笑う顔が見れて嬉しかった

結局僕はそんなことをなんども繰り返し
最後には何も見つけられないまま
ここまで来た道を振り返ってみたら

僕のあげたものでたくさんの
人が幸せそうに笑っていて
それを見たときの気持ちが僕の
探していたものだとわかった

今までで一番素敵なものを
僕はとうとう拾うことができた



私は、ありがたいことに
(奇跡と思ってるくらい)
今、こうしてヨーガを伝えるお仕事をさせていただいています

そしてこの上なくありがたいことに
たくさんの方に「ありがとうございます」
って言っていただける

本当は、ありがたいのは私の方なんだって、いっつも思います。
悩み苦しんでいた、智慧のない傲慢だった私に
今、「ありがとう」って言ってくれる人がいる。

ときに強い笑顔を見せてくれたり
生きる強さを教えてくれれたり
自分と向き合おうとする勇気や
優しくありたいと願う芯の強さに出会うことができる
そのたんびに、私は嬉しくてうれしくて、
最近はもっぱら涙もろくなって
一緒に泣いてしまうくらい
本当にうれしい

私は、「させていただいてるんだ」「生かされているんだ」って、
心から思えるようにやっとなれました

高飛車で、傲慢だった私は
きっとあのまんまだったら
探しても探しても一生
“一番ほしかったもの”を
手に入れることができなかったでしょうね


人が喜ぶこと、望むことを
“させて”いただいていることに
心から感謝します
それは本当に本当にありがたいことだから・・・

人を強くする思い
それは“感謝”の気持ちなんだそうです

私が強くなれたのは
やっと万人、万物、すべての出来事に
感謝できるようになったからかもしれません

明日も、人が喜ぶこと、望むこと
“させて”いただきましょうね☆

「人生は 奪うに益なく 譲るに益あり」
6月聖句瞑想 ~ヨーガ・ニケタン 木村慧心~

kazu
  


マーヤーと幻vol.2


「ひつじライオン」
餌を探していた、身ごもった雌ライオンがいました。
羊の群れを見て、彼女はそれにとびかかりましたが、そこで死んでしまい、母親のいない子ライオンが生まれました。
それはひつじに養われて彼らとともに大きくなり、草を食べてめえめえと鳴いてました。
そして、1頭の十分に成長したライオンになったのですが、自分はひつじだ、と思っていました。
ある日もう1頭のライオンがえさを探しに来て、このひつじの群れの中に、1頭のライオンがおり、
ひつじと一緒に逃げていくのを見て、びっくりしました。
彼はこのひつじライオン近づいて「お前はライオンであるぞ」と言ってやりたいと思いましたが、
哀れなけものは、彼が近付くと逃げて行ってしまいました。
それでも彼は機会をねらい、ある日、ひつじライオンが眠っているのを見つけました。
彼はそれに近づき、「お前はライオンだぞ」と言いました。
相手が「わたしはひつじです」と言ってメエメエ鳴くので、彼を湖のほとりまで引きずっていき、
「ここをごらん、お前と私の影だ」と言いました。
彼はライオンと自分の影とを比べ、一瞬のうちに、自分はライオンである、ということを悟りました。
ライオンはほえました。
もうメエメエとは鳴きませんでした。



みなさんはライオンなのです。
きよらかで、無限で、完全な魂なのです。
宇宙の力はみなさんのうちにあります。

なぜなくのか、我が友よ。
あなたには誕生もなければ、死もない。
なぜあなたはなくのか。
あなたには病もなければ、不幸もない。
ただあなたは無限の空である。
さまざまな色の雲がその上に来て、しばらく遊び、それから消える。
しかし空はいつも同じ永遠の青である。

『ギャーナ・ヨーガ ~知識のヨーガ~』 
スワミ・ヴィヴェーカナンダ大師


※このイラストは、ある方が今一生懸命書いてくれてるイラストです。
 淡いやさしいタッチがすっごくお気に入りです。
 実際に会ったことはないのだけれど、絵は人柄を表わすんでしょうね。
 きっとやさしい方に違いない!!
 あと何点か注文中☆
 仕上がりがとっても楽しみですicon06

kazu  


楽園

楽園の入り口です

一歩入り口を入ると

ふわぁ~って懐かしい香りが
木や花や
干し草の香りです



お花がたくさん咲いてます

今日はもう少し
ここにマットを敷いて
ヨガろうと思います

slow down
kazu
  


幸せへの道

今日も素敵な笑顔に出会えました
人は1つずつ自分に気付き、
自分の足でまた一歩前に進む。
わたしたちはたくさんの人たちに支えられ、“生かされてる”
けど、生きる歩みを進められるのは自分の足だけ

自分の足で歩みを進めたkさん、
とってもきれいな目が
私もとっても嬉しかったです

ありがとうございました

共に学びを深めることができたことに心から感謝して…

おやすみなさい

和  


6月のヨーガ・セラピー和wa

【ヨーガサークルmoon】
毎週水曜日 19:00~20:20 
須賀川市中央公民館2階和室
※17日休み→代休29日(月)保健センター

【あさかヨーガセラピー】
毎週木曜日 19:00~20:20
永盛公民館和室
※4日近藤幸子先生

【ヨーガサークルshanty】
毎週金曜日 19:15~20:30
須賀川市保健センター
※12日休み

【sva-sthaの会】
第2、4水曜日 10:00~11:20
須賀川市武道館柔道場

【アロマヨガ】
1日(月)、8日(月) 19:00~20:30
アロマセラピー「heure」
電話予約024-931-2825
hp:www.aroma-heure.jp

【ヨーガセラピー&リラクゼーションアロマ】
15日(月) 19:30~21:00
ヨークカルチャーセンター
電話024-939-0331

【「ヨーガ・スートラ」勉強会】
6月23日(火)19:00~ 郡山市二瀬公民館
講師:木村慧心先生
参加費2000円

◎随時体験受け付けています。
 詳細はメールにてお問い合わせください。
 wayoga_smile@yahoo.co.jp和(kazu) 



   


let´s slow down

先日、ある雑誌に載っていた、あるヨギーニのコメントを目にした。
なんか、ハッとさせられた

ゆーっくりで在ること
ヨーガを学んでる人は、それがどれだけ大切なことか、よーっくわかってるはず。
もちろんわたしも。
けど、どんなにそれをわかっていたとしても
スピード化された現代に生きてるわたしたちは、
「時計をみること」
「順序だってことを済ませること」
そんな決まりきった生き方を根本からは変えられなくって、
「今日はゆーっくりの自分の時間!!!」って決めても、
やっぱりどこかで、
「何時までには家に帰らなきゃならなくて・・・」とか
「明日はまた現実が・・・」とか
“速度をおとす”ってホントに難しいのかもしれない。

今日から6月、もっともっともーっとslowdownしていこうと思う。
車のスピードじゃ見えないもの、
歩くスピードならたーっくさん見えるはずだもんね。

今日も空がきれい

kazu